
今回の記事は、発達障害グレーゾーンで境界知能の持ち主のわが家の三男の高校卒業後の進路として、A型作業所に就職が決まるまでのお話です。
小さなころからずっと考えていたことは、どこで働けるのか、きちんとした収入を得ることができるのか、ということでした。
療育手帳があれば、支援学校へ進み、公的な支援を受けながら働けると考え、手帳の取得を試みましたが、療育手帳は交付されませんでした。となれば定型発達のお子さんたちと同じようにな所で働かなければならない。そもそも、採用されるのか。不安は募るばかりでした。
▼療育手帳を申請したときの詳しい経緯は、こちらの記事で書いています。▼

高校3年生になって進路を決める段階になっても、勉強が大嫌いな三男が進学を望むはずもなく、就職とは決めていたもののやりたいこともなく、どんな仕事が合うのかもわからず、途方に暮れていました。
自分の考えていることを言葉にして話すことが苦手なため、採用試験の面接なども難しく、定型発達の高校生と同じ土俵で採用試験を受けるのは大変なことでした。
学校からは「早く決めてほしい」というプレッシャーをかけられ、三男は「親の意見ではなく、お前の考えはないのか!」と先生から詰められていたそうです。
親子共々つらい時期でしたが、その後、どのように就職活動をし、実際に採用されて働くことができるようになったのかをお話していこうと思います。
うちの三男、グレーゾーンボーイです。>>>
私は地方在住の50代の主婦。子どもの教育に関わる仕事を週2回ペースでしている”つつじ屋”といいます。
家族:だんな 定年間近の会社員
長男 大学生 勉強が大好き
次男 大学生 自由が大好き
三男 高校生 ウルトラマン大好き
三男は発達障害グレーゾーンで境界知能の持ち主です。
このブログでは、この三男にまつわるエピソードや困り事を、グチ多めでつづっていきたいと思っています。よろしくお願いします。
1.小学校のころから続く、生活できる収入を得るための道の模索
・支援級と普通級の転籍を繰り返す小学校の頃
・三男の限界を知る中学校の頃
・高等専修学校から一般就労の道を考える
支援級と普通級の転籍を繰り返す小学校の頃

小学校1・2年生の頃は普通級に在籍していました。入学前健診の時に学校の先生と相談し、普通級でいけるでしょうということでの判断です。
しかし、2年生になると、集中できなかったり、何もせずに過ごしていることが多くなり、担任の先生から支援級への転籍を勧められました。この時の私の気持ちはとても複雑でした。支援級に行ったら、将来就職先に困るのではないか、すでにそのことを考えていたからです。それでも先生からは、また普通級に戻ることもできるということを聞き、支援級に移ることを決めました。
6年生になり、支援級の先生が変わったこともあって、普通級へと戻ることになりました。中学校では普通級で過ごさせたいと考えていたからです。それは、普通級から普通の高校へと進学して、一般就労を、と考えていたからなのです。この頃はとにかく普通級へ戻らなければ、と考えていました。なんとかして自立できるだけの収入のある仕事についてほしかったのです。
▼普通級か、支援級にするかは、本当に悩みました。その時の迷いについて詳しく書いています。▼

三男の限界を知る中学校の頃

中学の3年間はずっと普通級でしたが、三男はとても大変だったと思います。何より毎日の授業が全く分からない。テストは0点の嵐。同級生たちとの微妙な距離感。(本人は感じていなかったようですが、明らかに浮いていたと思われます)
そんな中で、やはり三男にはみんなと同じような高校へ行って、一般就労をするのは難しいと悟ったわけです。
そこで中学校の支援級の先生の勧めもあって、療育手帳の取得を考えました。しかし、知的レベルは境界域の三男。療育手帳の基準には当てはまりませんでした。この時、わたしはとてもがっかりしました。「それならこの子はどうしたらいいのか。」
高等専修学校から一般就労の道を考える

本当は高校は特別支援学校へと考えていたのですがそれもかなわず。公的な支援はないままで、高等専修学校へと進学しました。その学校は不登校や支援級の生徒も受け入れるという触れ込みの学校でした。(だからといって実際には何の配慮も支援もありませんでしたが・・・)
▼高等専修学校を選ぶまでにも、特別支援学校・通信制・私立高校など、いろいろ悩みました▼

ここでの就活は一般高校生の就活です。障害者枠でもない、一般就労のための就活です。三男には支援や配慮のある就職先がいいのでは、と考えてはいたものの、流れに逆らえず、みんなと同じく一般就労を目指すことになりました。
▼振り返ると、学校を選ぶ段階で「どんな就職支援があるのか」を確認すればよかったのかも▼

2.高等専修学校卒業後は一般企業への就職を目指す
・夏前から始まる就職活動
・定型発達の高校生と同じ土俵での採用試験の困難さ
夏前から始まる就職活動

高校3年生の6月頃から就職活動は始まります。ハローワークを通して企業の求人情報が出て、三男もわんさかと求人情報のプリントを持ってきました。
三男本人はあまり興味を示さず、何が何だか分からない様子。それでも学校からは早めに見学に行きたい企業を決めてくれと言われていたため、気乗りしない三男をなだめながら、ここならどうか、という企業をいくつかピックアップしました。
そして夏休みを利用して、3社ほど見学と体験に行きました。1社はお菓子の製造工場、2社はスーパーマーケットです。その中から三男と話し合い、お菓子の製造工場の採用試験を受けることにしました。
定型発達の高校生と同じ土俵での採用試験の困難さ

採用試験にはいろんな高校の生徒さんが応募してきます。皆さん定型発達の、三男からすればとてもできる生徒さんばかりです。
ただでさえ境界知能で、筆記試験も思うような成績は望めないのに、自分の考えを言語化するのがとても苦手な三男です。面接で上手く話せないのは必死。採用試験でそこを配慮してくれるようなことはありません。
残念ながらというか当然というか、結果は不採用でした。
三男はさほどがっかりしていなかったように思います。重大性が分かっていなかったかもしれません。「次、考えてよ。」と少し投げやりに言ってくるので、私はかなり頭にきていました。
でもこれも境界知能ゆえだったのかなとも思います。自分では何が正解なのか分からない。どうしたらいいのかもわからないし、三男的にはやれることはやっていた。「じゃあどうするの。」といきなり言われても、「わからない。」というのが本音だったのだろうとも思うのです。
3.早く決めて」とプレッシャーをかける学校
・次はどこを受けるのかと詰めてくる学校
・簡単に決められない親の気持ちと学校側の温度差
・福祉的な就労を考え、就労移行支援事業所の見学へ
次はどこを受けるのかと詰めてくる学校

不採用が決まってすぐ、学校に呼び出されました。
まだ採用試験が受けられる企業を先生がピックアップしてくれていて、その場で「ここに見学に行かせてもらいましょう。」となり、後日、流通系の企業へ見学と体験に行きました。
そこは同じ学校の先輩も勤めていて、三男の同級生も採用試験を受けて内定をもらっていた企業でした。
しかし、勤務地は自宅から遠く、最寄り駅からも1時間弱歩くという立地で、車通勤が推奨されていました。免許を取る予定のない三男にはかなり厳しい。また、流通という仕事上、フォークリフトの運転もおそらく必須になります。様々なところに注意のいるフォークリフトの運転も、困難であろうと思われました。
これは過保護とかいう問題ではなく、三男の能力を見てきたうえでの判断です。
当日はダンナも一緒に職場まで送っていったのですが、実際に従業員の方々の作業の様子を見て、「ここは厳しいかな。」とダンナも同じ感想を持っていました。
簡単に決められない親の気持ちと学校側の温度差

「そこも受けない」と先生に報告すると、そこから「早く決めろ」という強烈なプレッシャーがかかり始めました。
「親の意見じゃなくて、お前はどうしたいんだ!」と強く言われたこともあったそうです。そんなこと言われても、三男に答えられるはずはありません。自分に自信がなくて、何ができるのかもよくわからないし、三男はのんびりしたかったのです。
学校も、本当は支援のある所で学ぶことができればよかったのですが、わたしが頑張らせてしまった。普通の就職先を目指しすぎて頑張らせてしまったと感じていました。三男がゆっくりしたいと思う気持ちもわかります。
学校は結局どこでもいいから就職実績が欲しいだけ。生徒に合っているとか関係ないのです。(三男が通っていた学校は、の話ですが)
だからと言ってそんなに簡単に子どもの就職先を決められません。一生のことです。できることなら、辞めずに、無理しすぎない所で働いてほしい。
福祉的な就労を考え、就労移行支援事業所の見学へ

実は、夏ころから一般企業の見学と同時に、就労移行支援事業所の見学にも行っていました。そこではお給料はもらえませんが、そこから一般就労を目指すことで、支援や配慮のある就職先が見つかるのではと考えたからです。
不採用となり、先生に詰められるようになり、いよいよ本格的に就労移行支援を考えるようになりました。体験をさせてもらい、「うちに来てくれるなら枠を開けておくから、年内には連絡してね。」と言ってもらえる所にも出会え、「しばらくは就労移行支援でお世話になるのかな。」と少し安心したものです。
学校には福祉的な就労を考えていることを伝え、プレッシャーは少し収まりました。
4.病院で「手帳申請」を勧められる
・就活での困難さを主治医に伝え、精神の手帳の申請を勧められる
・手帳取得をすすめられた時の気持ち
就活での困難さを主治医に伝え、精神の手帳の申請を勧められる

高校3年生で就活が始まった頃、幼い頃から通っている児童精神科の先生に、三男は自分の考えを言葉にして伝えるのが苦手で、採用試験の面接などは難しいと思う、ということを相談しました。知的にも境界レベルで、一般の高校生と採用試験を戦っても採用されることはないだろうということ、仮にどこか採用してくれたとしても、三男の特徴や能力に配慮はしてもらえるはずがなく、長続きするのか不安なことなどを伝えたのです。
すると先生は「手帳はいろいろやってダメだったときでもいいかと思っていましたが、あまり無理することもありませんね。精神の手帳をとって、福祉的な就労も考えましょうか。」と言ってくれました。
手帳取得をすすめられた時の気持ち

先生からそう言われ、わたしはとてもうれしかったのです。
普通に一般就労することを目指して、小学生のころからあれこれと動いてきたはずなのに、結局は福祉的な就労サービスに頼ろうとしたのです。
三男の能力の限界を知ったこと、どうすることが三男や私たち家族にとって最適なのかを考えたこと、三男の笑顔を無くさずに働き続けられること、これらを考えた時、先生からの精神の手帳取得の話は本当に有難かったのです。
「お願いします!」と即答しました。
手帳を取るということが三男の兄たちにどう取られるのか少し不安もありましたが、三男が少しでもおだやかに暮らしていく為に大切な手段です。兄たちには申し訳ないような気持ちもありましたが、断りを取ることもなく、手帳取得をお願いしました。
5.市の就労相談機関・ハローワークへ相談へ
・不採用の通知後、先生に詰められて投げやりになる三男
・市の就労相談機関やハローワークへ
不採用の通知後、先生に詰められて投げやりになる三男

不採用の通知後、学校の先生からは早く就職先を決めてくれというプレッシャーが強まり、かといってどこでもいいはずもなく、途方に暮れていました。
三男は、先生からはきつく言われるし、親からも「どこがいいの、どんなところがいいの?」とことあるごとに言われ、いささか投げやりになっていました。「どこでもいい、なんでもいい。」「決まらんかったらあんたらの責任だで。」そんなセリフが出るくらい、どうしていいのか分からない状態になっていたと言えます。
市の就労相談機関やハローワークへ

学校の先生ではこちらの思いが上手く伝わらない、というかそんなものはなから聞いてもらえない、と思い、市の就労相談機関やハローワークに足を運びました。
市の就労相談機関では、学校が親身に相談に乗ってくれないことを伝えると、「ああ、そちらの学校の生徒さんは前にもいらしていますよ。なかなか厳しそうですね。」と三男の通う学校の実情が少し伝わっているようでした。
しかしこちらでもうまく話せない三男はやる気がないように映ったようで、「もう少しやる気を見せてほしいな。ちゃんと目を見て話してほしいな。」と言われました。上手く話せないのは三男の特徴なのですが、どうしてもやる気がないと思われてしまいます。
こちらではさまざまな福祉的な就労の形を教えていただき、就労移行支援事業所、就労継続支援A型、B型、それぞれの特徴や三男にはどこが適していそうかなどの助言をいただきました。(ちなみにこちらでは就労移行支援事業所を勧められました)
また、ハローワークにも行きました。
ハローワークへ行くことになったのは学校から勧められたからですが、こちらでもすぐに解決とはいきません。市の相談機関と同様、やる気がないと思われてしまいます。
「スミマセン、こういう特徴のある子でして、面接なども難しく、困っています。と伝えると、「そういうことでしたら・・・。」と障害者枠の就労の相談窓口の方が対応してくれました。
その時は手帳を考えてはいたものの、まだ手元にはなかったので、実際の障害者雇用の紹介は受けず、「今後もお困りでしたらこちらの窓口でご相談をお受けしますね。」とおっしゃっていただき、大きな収穫はないまま帰りました。
6.特例子会社が運営している就労継続支援A型作業所を知る
・本当にこの就労移行支援事業所でいいのか?という疑問 10月末
・特例子会社が運営する就労系の福祉事業所の見学へ 11月初め
・1週間の職場実習へ 12月初め
・採用試験を受ける 1月終わり
・1週間後、採否の連絡が
本当にこの就労移行支援事業所でいいのか?という疑問 10月末

一般就労が難しく、ハローワークなどでもなかなか三男に合った仕事が見つからなそうだなと感じ、体験に行った就労移行支援事業所にお世話になろうと思っていたものの、その事業所の作業内容は三男にはとても簡単で、少し物足りなさも感じていました。(物足りないと感じていたのは主に私であって、三男はそんなに気にはしていなかったように思います。)
そんな中、ダンナとも何度も話し合いをし、私の考えていることや三男の持っている能力なども考慮して、他にどこかないだろうかと探すことに。
「そう言えば、うちの会社にもそういう事業やっている所があったはず・・・。」とダンナの勤めている会社の特定子会社がやっている就労系の福祉事業所を見つけてくれました。
ダメもとでダンナがメールを送り、すぐに返事がありました。担当の方から連絡をくれるということに!「一度見学に来てはいかがでしょうか?」というお話で、「すぐ行きます!」と面談の日にちを調整していただきました。
特例子会社が運営する就労系の福祉事業所の見学へ 11月初め
学校は午前で早退し、事業所の見学へ行きました。三男本人に私とダンナでぞろぞろと。
はじめにこの事業所にある就労の形態についてのお話しを聞きます。こちらでは就労移行支援、就労継続支援A型、就労継続支援B型という形態があります。
私は当初就労移行支援を考えていたのですが、こちらでの就労移行支援は受け入れもとても少人数で(その時いたのは1人だけ)、訓練の終了後はすぐに特例子会社の社員としてバリバリと働くというエリートコースだとの事で、私が思っていた就労移行支援とは違っていました。
担当の方も、A型かB型でいくのがいいのではとおっしゃっていたので、「そういうものか。」と少し疑問も感じつつ、工場の見学にいかせてもらいました。
その工場の様子を見てびっくりです!私の想像するA型やB型の作業所の様子とは程遠いのです。作業所ではなく、まったく大きな工場で、仕事の内容も製造業の普通の作業なのです。福祉作業所でよくあるような軽作業ではありません。
その工場を見て、A型でもB型でも、かなりレベルの高い作業だから、担当の方が「A型かB型で。」とおっしゃっていたのも納得できました。
また、A型かB型かを決めるのは、実習を通して作業所の方で決められ、こちらがA型を希望しても、作業所の判断でA型では無理だと判断されればB型での応募になるというお話。なかなかの狭き門。
それでも是非この事業所でお世話になりたく、12月の実習をお願いしてきました。
1週間の職場実習へ 12月初め

実は、実習をするのにもハローワークを通す必要があって、煩雑なこともありました。まず事業所から学校へ連絡がいき、そこからハローワークへ行き、登録をしたうえで初めて実習に臨めるわけです。ちょっと面倒でしたね。
実習を前に、三男と通勤の練習もしました。一人で電車に乗ったことのない三男です。おまけに乗り換えもあります。ホームの確認、切符の購入方法(カード未対応の区間だったので)、降りるときは車掌さんに切符を渡すことなど、一つ一つ確認が必要です。
駅から事業所までの歩きのルートも確認します。目印を確かめて、確実にたどり着けるようにしました。
実習初日、三男本人よりも私の方が不安だったようにも思います。三男からも何度か「この電車でいい?」といったLINEが送られてきました。それでも何とか無事にたどり着き、実習を終えます。
「初日どうだった?」と尋ねると、「おれ、Aだって。すごいらあ!でもね、帰り暗くて道がよくわからんで、ちょっと迷った。」とのこと。
初日の「見極め」という所で、A型かB型か決まるようで、三男は無事にA型でいけると判断していただけました。
そして1週間、休むことなく実習を終えることができました。「おれ、これ作ってるだよ、すげーらー。」と自慢げに話す三男からは、充実していたことが分かり、三男に向いた仕事なんだなと感じたものです。
採用試験を受ける 1月終わり

こちらの事業所の高校新卒の採用試験は1月の終わり。
1月初めに事業所から学校へ求人票が届き、そこから再びハローワークへ行き、事業所へ連絡がいって、再度学校を通して採用試験の日程が知らされるという、複雑な経路をたどって採用試験にたどり着きます。高卒の採用試験は必ず学校を通すことになるので、仕方ないのでしょうね。
採用試験当日、本人はさほど緊張する様子もなく、出かけていきました。実習で通勤にもなれ、職場の雰囲気もある程度わかっていたので、大きな不安もなかったようです。
返ってきた三男に話を聞くと「まあ普通。筆記もあったけど、まあまあできたよ。算数とかじゃなくて、文を読んでどうすればいいのかを答えるみたいな。面接も普通。おれ以外にもいたよ。」だと。
まあ、ここまで来たらわたしにできることなどあるはずもなく、天命を待つのみでした。
1週間後、採否の連絡が

採否は1週間以内にご連絡します、ということだったので、採用試験の翌日から「今日かな、今日かな。」と待っていました。でも一向に連絡はありません。
「やっぱり難しかったのかな。」と半ばあきらめです。ダメだとしたら、もう一度初めに考えていた就労移行支援事業所に連絡を取ってみようか、ハローワークに行って相談しようかと考え始めてもいました。
するとちょうど1週間たった日の夕方、学校から電話があり「おめでとうございます!内定ですよ!」と!全身から力が抜けるようでした。やっと三男の居場所が見つかったのです。もう2月になっていました。
7.就労継続支援A型作業所が決まるまでの不安

・行ける予定の就労移行支援作業所を断る
・行き場がなくなる不安
行ける予定の就労移行支援作業所を断る
実際に三男がお世話になることになったA型作業所に決まるまで、不安なことはたくさんありました。
最初に行こうと思っていた就労移行支援の作業所は、年内に返事をする必要がありました。年内にお世話になる意思を伝えておけば、必ず三男の枠を空けておいてくれるというお話だったのです。
でも、三男が行くことにしたA型作業所の採否の結果が出るのは1月末か2月初め。採用試験ですら1月でした。なので、初めの就労移行支援作業所には現状を報告し、年内にお返事することができないと伝えました。
すると、その就労移行支援作業所の方から「あー、そこは人気ありますよね。けっこう落ちるとも聞きます。頑張ってチャレンジしてください!」と励ましともビビらせともとれる話を聞きました。(作業所の方に悪気はまったくありませんでしたよ。)
行き場がなくなる不安

正直、A型作業所の方に採用される保証はなかったので、ダメだったらどうなるんだろうという不安はずっとありました。
初めから就労移行支援作業所に行けばよかったのではないか、一般就労を頑張ればよかったのではないか、他にも福祉系の就労作業所はなかったのか、焦りやら後悔やらごちゃまぜの気持ちが押し寄せてきます。
三男は行くところがあればキチンと通える人です。その行き場を失わせてしまうのがとても怖かった。行くところがなく、悶々と過ごす日々を想像すると、本当につらかったです。
結果的にはそんな不安も取り越し苦労となったわけですが、当時は居ても立っても居られない気持ちで過ごしていましたね。
初めに行こうと思っていた就労移行支援作業所には、A型作業所から内定をもらってすぐに連絡を入れました。「良かったですねー!おめでとうございます!」と喜んでくださいました。三男を受け入れてくださると言ってくださったことは、本当に有難いことでした。こうしたたくさんの人たちの好意があって三男の現在があることを忘れずにいたいと思っています。
8.まとめ 今振り返って思うこと

三男は就職という大きな目標をひとまずクリアしました。
就労継続支援A型作業所への就労をゴールと言えるのかはご意見のあるところかもしれませんね。それでも、三男の通う事業所は、大手企業の特例子会社と共同運営する歴史のある事業所である点、ステップアップして特例子会社の社員になれる可能性もある点など、長い目で見ても安心できる就職であったと思います。
収入は時給ですし、ボーナスもありません。しかし、健康保険や厚生年金にも加入できるし、交通費も出る。自宅から通う三男には十分です。社会保険完備なのが有難い。私たち親が亡くなった後の問題は消えていませんが、一気にすべてをクリアなんて上手くはいかないですよね。
問題を先送りしているのかもしれませんが、今できることを、足元をしっかりと固めていくこともきっと将来につながると思っている次第です。
思えば小学校からずっと安定した就職を目指していたわけで、手帳が取れないならば一般の就職を考え、それが難しいとなればやはり福祉的な就職を考え、右往左往してきました。
何が正解なのか分からないまま、その時の感情や三男の様子をもとに、いちばんいいのではないかと思える選択をしてきたと思っています。いえ、いちばんよかったと思いたいだけで、本当は違う道もあったかもしれません。
また、発達障害グレーゾーンや境界知能の子どもは、その能力や特徴を知ってもらうことがとても難しいことを思い知らされました。どうしても一般的な尺度や理想で見られるため、その基準に満たない場合は「やる気がない」「何を考えているのか分からない」と誤解されてしまいがちです。
理解してもらおうとか配慮してほしいと望むのはおこがましいとも思います。グレーゾーンでも頑張っている人はたくさんいるだろうから。でも、できることなら、自分の子どもには、理解ある中で自分らしく自己肯定感を落とすことなく生きていったもらいたいというのが本心です。
この選択が正解なのか、まだわかりません。きっとこの先も分からないままいろいろな問題をやり過ごしていくんだろうと思います。そう、まさにやり過ごす。無事に三男が人生をやり過ごすことができるよう、願っております。
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↓こちらの記事は、生まれて間もないころのお話です。
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小学1年生、勉強やおもらし、のどの手術(アデノイド除去)について書いてます
小学4年、普通級の子どもさんと上手くコミュニケーションが取れなかったお話です。
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↓療育手帳の取得を申請しても、交付を受けることが叶わなかった時のお話
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進路と将来
↓中学生になって支援級と普通級のどちらが良いかを考えてみた記事
↓高校(専修学校)入学までの紆余曲折
↓こちらは日本政策金融公庫で借りた学費のお話です↓
高校生時代
↓体調の悪さを誰にも伝えられない不安について考えた記事
↓なかなか就職が決まらずに困ってた頃の記事↓

↓こちらは高校(専修学校)へ入学してから初めての中間テストの結果です。
↓こちらは”専修学校各種学校連合会”についての記事です
出典:文部科学省公式サイトより









